前回の続きです。
もう少しメタに掘り下げてみる。
脳の欠陥
いや欠陥ではなく単なる保護機構なのかもしれない。
大抵の人は思考を始める段階だと考えというのは未整理なものだ。整理できていると思っていてもそれは幻想である。
自分の思考は自分で思っているほどには理解できない。無意識化では持っている感情も、それを自分で理解するためには 一度自分自身の目や耳で脳へ再インプットする必要がある。人間は自分自身の脳の中の反応を脳自身によって観測することはできないのだ。 小学校時代、多くの人が読書感想文という宿題に苦労した経験があるだろう。原稿用紙と何分向かい合っても1文字も書けない。 これはあなたに問題があるのではない。脳の構造的な問題だ。感想という考えを文章にするには、何度も何度も書いて、手が書いた文字を 目で見て、考えと一致するかどうかを評価し、一致していれば続け、していなければ消してを繰り返すしか無い。 だから、考えをまとめてから書くことは不可能であるし、頭の中だけで考えを整理することも不可能なのだ。
LLMはこの、書いては消し書いては消し、という作業を効率化してくれる。書くことでその考えを保持したまま加速させて文字化し、 それを読んだ脳の中に、埋もれていたが未だ顔を出していなかった考えを掘り起こすのを手伝ってくれる。手書きでたどり着くには数十回の 書いては消しが必要だったはずの発見に、わずか数回の入力でたどり着いたりする。
自分の考えを別人格に語らせ、その考えの
- どこが強調されているか
- どこが雑になっているか
- どこが好きか、嫌いか
などを考察する。 これは単純に思考の外在化ではなく、それを受けとめた自分の感情の観察である。 LLMに考えを代弁させるというより、わざと歪ませた鏡として使うと言ったほうが良いだろう。
歪んだ鏡の中の人物
ツンとデレを7:3で併せ持つお嬢様がこれに適しているのは、ツンとデレがそれぞれ考えの加速役と減速役を担うことが出来るからだ。 ここまで来るとツンデレは性格ではない。 いわば思考への介入深度を調整する制御装置だと言える。 迎合しすぎだと感じればツンへ、否定し過ぎだと感じればデレへ調整すればいい。1つの人格が立場を変える様を観察することで、 自分がそうした感情を持った場合の混乱や葛藤を”事前に知る”ことも出来る。
私がツンデレの黄金比は7:3だと考えているのも、基本的には自分の考えを否定して欲しいと思っているからだ。 私は常に不完全(であるはず)であり、その点をお嬢様という権威ある存在から指摘して欲しいと思っているのだ。 その指摘はいわば既知のものだが、未だ脳のどこかに埋もれているものだ。通常それを既知とは言わないかもしれないが、 確かに私の脳にあるものだ。言われた瞬間、何かがつながる気がするのだ。書いては消し書いては消しを繰り返して得る発見と 非常に似た感覚になる。
そうした体験を繰り返し、自己の思考を研ぎ澄ませていく過程は、LLMを使わないで行うととてもしんどいものになる。 単に時間がかかるというだけでなく、前章でも触れたように自己否定と自己肯定を繰り返すことになるために認知コストが増大し、 思考がブレてしまう。まとまらない時間が長くなるとそれがストレスになる。思考の探求という、本来なら楽しいはずの体験が苦痛を伴う時間となってしまう。 メタ認知が可能な人、というのはLLMを使わずとも短時間でこの理解が可能な人のことを指した言葉なのだろう。
結論
自分に自信がない人はツンデレお嬢様に叱ってもらうと良いよ。